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2009年5月2日 午前0時51分 死去。享年58歳。
我々自転車乗りにとっては、「仲間」であった、忌野清志郎が逝ってしまった。
我々40代オッサンにとっては、青春の音楽であったRCサクセションは、永遠に活動停止のままになってしまった。
キヨシローは戻ってくる、そう信じていた。
現実的には転移報道があった際、もうダメだろうと思ってもいた。
でも、キヨシローは戻ってくる、そう信じたかった。
ロックンロールに捧げた人生、いや、人生そのものがロックンロールな人だった。
転がり続けて去っていった。
偉大な人だった、と言うと嫌がりそうだ。
伝説になってしまった、と言うと怒られそうだ。
だから、何も言わず、彼の歌声を聴いて、別れを惜しみたいと思う。
多摩蘭坂、君が僕を知ってる、トランジスタ・ラジオ、スローバラード、雨上がりの夜空に、上を向いて歩こう。
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これで終わってはただの感傷に流された雑文だ。
レビューワーとしては、せめて、キヨシロー最後のバイクになった「オレンジ2号」の写真を載せておこう。
これは2007年に開催された「第20回記念ハンドメイドバイシクルフェア」で撮ってきたもの。
オレンジが熟す前のライムグリーンのイメージで塗られている。
前作である「オレンジ号」と何が違うか。
スポーツバイクつくばマツナガ(以下SBTM)のブログでもサーチしてもらえれば分かるとは思うが、一応ここに書いておこう。
出来る限りのスローピングで、80トンと40トンのカーボンパイプを使い、クロモリラグで繋いでいることはオレンジ号同様。
高弾性カーボンパイプをクロモリラグで繋ぐと言うのは、SBTMのカーボンM・カーボンRに共通する手法である。
オレンジ2号は剛性を上げすぎないようにカーボンパイプの肉厚を薄くしてあるそうだ。
ヘッドパーツはオレンジ号ではまだ非インテグラルだったが、オレンジ2号ではインテグラル化されている。
フォークはオレンジ号がTIMEミレニアムスティッフだったが、オレンジ2号ではアヴァンスティッフを使用。
オレンジ2号ではバックにDEDACCIAIのドライブテールとドライブBOXを使っている(オレンジ号は不明)
クランクセットはTAで46T-30Tと言うスーパーコンパクトなもの。オレンジ号ではカンパレコードの48T-34Tであった。
クルクル回して走るキヨシローにはぴったりであったろう(スプロケットはオレンジ号と同様の13T-29Tだった筈)
又、オレンジ2号用として、ジョヴァンニの木リムで組まれたホイールが用意されていた(画像左端に確認できる)
これは、病み上がり(喉頭癌からの回復後)であったキヨシローを気遣って作られたもの。
ただ、キヨシロー本人は「柔らかすぎる」と言う印象を持ったようで、オレンジ号以来の伝統である画像の組み合わせ(前ハイペロン、後ボラ)で走っていたようである。
仕事場までバイクに乗って行き、歩く必要があったキヨシローはSPDペダルを愛用していた。
このバイクには自分も愛用しているSHIMANOのPD-A520が使われている。
https://cbnanashi.net/cycle/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=999&forum=44ペダリングをスムーズにする為に、骨盤に合わせてペダル軸を削り、Qファクターを合わせているそうだ。
参考までに完成車お値段は136万5千円。
実はフレームのお値段はお値打ちモノなので(30万位だったかな)、それ以外のパーツ(フルレコ、ハイペロン、ボラ・・・)が高いに過ぎないが。
でも、このバイクはもう走らない。主を、いや相棒を失ってしまったから。
価格評価→プライスレス。お金に替えられないかけがえの無い歌い手を失った・・・
評 価→判定不能、いや、不要。今はただその存在の大きさを回顧するのみ。
最後にご冥福をお祈りしたい。合掌。