購入価格 ¥540+税
集英社文庫版。副題は “「青色発光ダイオード」を開発して見えてきたこと”
白色LEDライトの実現とその高輝度化。
サイスポを初めて書店で立ち読みしてから40余年。この間の自転車界における最大の事件は、エディ・メルクスの引退でも、MTBの発明でも、カーボン・フレームの一般化でも、無線変速の出現でもなく、もしかしたらそれは、中野浩一の世界選プロ・スプリント10連覇をも差し置いて、白色LEDライトの実現ではないだろうか、と私は勝手に思っています。
この技術が誕生し、進化したおかげで、夜間、真っ暗な県境の峠や、鬱蒼とした森の中を貫く林道の峠を安全に越えることができるようになりました。
ガス灯、白熱灯、蛍光灯、そして、白色LED
青色LEDが発光し、蛍光体を光らせることで疑似的にRGBを作って白色を実現する、というわけで、この白色LEDの実現には青色LEDの発光が必須の大前提となっています。
20世紀終盤。光の三原色のうち、最も波長の短い青色のLEDが不在だったわけですが、この青色LEDの高輝度発光に執念を燃やし、世界初、世界一を連発し、ついに高輝度青色LEDという最高峰に登頂を果たし、日本の赤崎勇博士らと共にノーベル物理学賞を受賞したのが、現在、米国の大学で教鞭を執る中村修二氏。世界中の研究者が取り組んだ開発競争をかいくぐって頂に到達するために、中村氏は、自身を取り巻く現状に強い危機意識を持ち、常識を無視し、自分のやり方を貫き、孤独に耐え、やがてデータが出始めるとともに、米国の研究者たちに評価されるに至ります。そして青色LEDの高輝度発光の成功。中村氏をドライブし続けたのは、自分自身をどん底に突き落として追い詰めることも厭わぬ、捨て身の方法論、そして、自身をとりまく理不尽な状況への強烈な 「怒り」 だった・・・。
超クリーンで超微細な半導体プロセスの構築に、孤独の中村氏は敢然と挑戦します。そして大学時代の恩師に学んだ、「必要ならば実験機材も自分で作る」という流儀を、職人気質の現場仕事人として果敢に実践します。装置の改造から何から何まで自分の手と知力と、研ぎ澄まされた「勘」を総動員して、くふうを凝らし、改造と実験の日々を突き進みます。青色LEDを開発した当時に在籍した日亜化学とのその後の闘争とでもいうべき「特許裁判」の記述も併せて、研究者として、ひとりの人としての中村氏の豪快かつ繊細な魅力が横溢する一冊です。
子供時代は相当なワンパクで、勉強などせず、友達と遊び回っていた中村氏。トンボを捕まえて尻尾に麦わらを突き刺して飛ばした、などというむごい話に、ああ、中村氏も実はオレたちと同じ、ひたすら遊び呆けることに忙しい普通の小学生だったんだなと知って、和みます。(私は麦わらではなくエノコロ草でしたが)
そんな少年時代を四国の田舎で過ごした中村氏の舌鋒は鋭く、米国の大学制度と比較して日本の教育制度、大学入試制度への徹底的なダメ出しに至ります。何かにつけて「アメリカでは」、「欧米では」などと口癖のように言う状況を戒めて、「出羽守(でわのかみ」の登場ですね」、などと表現したのはジャーナリストの故・筑紫哲也氏ですが、こと大学入試制度や大学教育に関しては、米国がはるかに日本よりマシ、というのは、私としては共感する部分でもあります。
室内照明から街灯、クルマの前後灯火等々、あらゆる照明の世界に強烈なインパクトを与えた高輝度青色LEDの発明とその後の進化ですが、自転車乗りの私としては、明るく安全な夜の峠越え、経済的な昼間点灯を可能にしてくれた中村氏の発明に感謝の念を禁じ得ない ・・・ そんな気持ちにさせてくれる一冊です。
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実は中村氏。ユニークな性格の方だと思います。意外と優柔不断で、気が付いたらこんなことになってしまっていた、ということが度重なることへの自己嫌悪、強烈な反省を経て、これじゃいかん!と改め、揚句、後発者の一発大穴狙い(学会的に捨て去られた窒化ガリウムに敢えて手を出す!)に変貌し、強く生きようと心に決めたその後の人生・・・
なーんて書くとアレですが、青色ダイオードという現実、事実がある以上、中村氏の偉業が霞むことはありません。自らの地位を利用して仲間内を優遇したり、とてもユニークな人を蔑んだり、などということと無縁の方は、もしかしたら中村氏の生き方に共感するかもしれません。
価格評価→★★★★★
評 価→★★★★★
※文庫版第1刷 2004年、2刷 2014年
※ホーム社の単行本( 2001年刊)の副題は『常識に背を向けたとき「青い光」が見えてきた-』