グラン・サン・ベルナール峠は標高2469m、イタリアとスイスとの国境にあるアルプス山脈の峠です。
この峠の歴史は古く、旧石器時代から始まり、
紀元前218年にはハンニバルと象が通過し、1800年にはナポレオン・ボナパルトが4万のフランス軍を率いてこの峠を越えたと言われています。
ナポレオンの有名な絵画、ダヴィッド作「アルプス越えのナポレオン」(Jacques-Louis David, "Napoleon Crossing the Alps")の舞台です。
また名前からも分かるとおり、プチ・サン・ベルナール峠同様にアオスタ大聖堂の助祭長ベルナール・ド・マントンがこの地に救護所「ホスピス」を建て、
かつて主要交通路であったこの峠を越えようとして遭難した人の救助を行っていました。
この聖人の名前は、雪中遭難救助犬として活躍していたセントバーナード犬の名前の由来でもあります。
ロードレースの歴史を見ると、ツール・ド・フランスではまれに設定されることがあり、近年では2009年のツール・ド・フランス第16ステージでツール43年ぶりにコースに取り入れられました。
また、イタリアに面しているためジロ・デ・イタリアにおいても設定されることのある峠です。
南側に位置するイタリアのアオスタ(Aosta)を始点とした場合、距離32.1kmの地点であり、標高差は1878m、平均5.9%の勾配があります。
北側に位置するスイスのサンブランシェ(Sembrancher)を始点とした場合、距離30.6kmの地点であり、標高差は1752m、平均5.7%の勾配があります。
今回私は、イタリア側からの峠に登ってきました。
********************************
イタリア北部、アルプスのふもとの街アオスタは標高591mにある州都です。
宿泊したホテルがすでに登りはじめた地点であったため、ホテルから出発すると早速登り開始です。
峠の前半部分は勾配は4~6%程度と比較的緩く、住居が点在している道を進んでいきます。
アオスタからスイスに抜けるには峠の中腹のトンネルで一気に国境を越える道があり、
このトンネルと峠の頂上へ向かう峠道の分岐に到達するまでは交通量が多いようです。
途中、1360m付近にあるSaint Oyenという小さな村を通り過ぎていきます。
石造りにわらぶき屋根が立ち並ぶ村の風景は旅情がありました。
出発から登ること20km程でやっとトンネルとの分岐点です。
一般の車はトンネルを通過するため、ここからの峠道では一気に交通量が減って走りやすくなってきます。
峠道に入ってからはときどき不毛の山の頂が見える程度の、基本的には林の中を走る道です。
さらに標高が上がり森林限界を超えると、あたりの風景が一変し見晴らしが良くなります。
これから登る道がずっと先に見えています。
これからあの山を自分が越えるのかと思うと、心が躍りますよね。
真新しい綺麗な路面でしたが、なかなか勾配がきつく、
また、前方にはこの勾配がひたすら続く道が見えているので精神的にきます。
自転車乗りの人が、必死に登っている私に「アレー」と叫びながら下ってゆきました。
ちょっと気力が戻ってきた気がしました。
真っ青な空に消える白い飛行機雲を見送りながら、登ります。
壮大な大地を感じる道を、まだまだ登ります。
やっとのことで、グラン・サン・ベルナール峠の頂上、標高2469mに到着。
小さな池と、その後方の雪を被ったスイスの山が組み合わさった風景に、ただ綺麗だなあと、圧倒されました。
峠付近を散策していると、かつてこの地で遭難者の救助を行っていた聖ベルナール像もありました。
一通り見て回った後、国境に向かいました。
2010年現在スイスはEUに加盟していないため、イタリア-スイス国境の検問所を通りスイスに入国。
イタリア側の風景もまさに絶景。
どうもこの峠はちょっとした観光地らしく、セントバーナード犬のペイントがされた観光バスが登ってきました。
日本人の方もいたので少し話をしました。
売店に寄ると、セントバーナード犬のぬいぐるみがたくさん売られていました。
ちょっと買いたい気持ちも湧いてきましたが、荷物が増えるので自重。
平地よりもいくらか高いコーラを飲み、スイスの下りに入りました。
トンネルとの合流後は、再び交通量が多くなり、スピードを上げて飛ばす車が多く、大型トラックなんかも走っています。
その上ほとんどブレーキをかける必要のない比較的真っ直ぐな道は、自然と自転車のスピードも不必要に上がっていくのでかなり怖かったです。
サンブランシェを通過し、マルティニまでは40kmほど。
トンネルまでの道さえ気を付ければ、それ以降の絶景ロードを楽しめるのでオススメの峠です。
景観→★★★★★
登坂距離→★★★★★
平均勾配→★★★★☆
~おまけ~
グラン・サン・ベルナール峠から下ってマルティニに到着したのは午後3時前。
どこまで走るかは決めていませんでしたが、とりあえずレマン湖まで走ることにしました。
深い谷間を走るレマン湖までの州道は平坦基調ではありますが、向かい風が強く吹いていました。
道沿いには風力発電の風車も設置してありました。
線路沿いのレマン通り(Rue du Leman)を走り、それから道沿いにドランジ道路(Route de Transit)、ローザンヌ道路(Route de Lausanne)と進みました。
午後5時頃、やっとレマン湖の東の端に位置する町ビルヌーブ(Villeneuve)に到着。
小さな公園に出てみました。
レマン湖の感想は、とにかくデカイ。
対岸まで見えるはずもなく、海と言われれば信じるくらい。
レマン湖にはたくさんの白鳥が泳いでいました。
しばらく休憩した後、公園から見えていたモントルー(Montreux)に向かいました。
夏の夜を彩る「モントルージャズフェスティバル」でその名を世界に知られるモントルーは、
その温暖な気候ゆえに保養地として名高く、著名人の別荘が多いようです。
湖沿いの遊歩道を、モントルーを目指し進んでいると、
バイロンの「シヨン城の囚人」で有名なシヨン城(Château de Chillon)がレマン湖に浮かんでいました。
湖上にあるこの古城の歴史は、グラン・サン・ベルナール峠の峠街道を監視するため、9世紀頃に砦が作られたことに始まるそうです。
モントルーで売店を探し、食料を調達。
今日の夕食はレマン湖畔に沈む夕日を見ながらとることにしました。
夕食を食べながら見たレマン湖に広がる夕暮れのパノラマは、今日一日の旅の疲れを吹き飛ばしてくれました。
ところで、この景色を最大限に堪能しようと湖畔の縁で夕食を食べていると、数羽の白鳥がやってきて、食料を狙って襲ってきました。
このアクシデントにより優雅な夕食とはいきませんでした…が、それも今となってはいい思い出です。